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旅の友「空弁」。館長が実際に食べた空弁を中心に、日本全国の空弁を紹介します。
◆九州の空弁(9種類収蔵)
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長崎空港 写真未撮影
1923年に海軍の飛行場として大村湾の東岸で開設。1955年に大村空港となり、1975年には沖合の小島と海面を埋めた世界初の海上空港として新滑走路とターミナルを設けた。現在は長崎県の玄関口として、羽田や伊丹などの幹線、県内離島へのローカル線、ソウルや上海への国際線が就航する。空弁は大村の角寿司、長崎のトルコライスや鯨カツ弁当などが売店で販売されている模様。
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◇大村角寿し(819円) 2003年1月21日に京王百貨店駅弁大会で購入
実演販売の係員によると長崎空港でも販売するという、大村の郷土料理。半分は太巻き、半分大村は寿司のバージョンを購入したもの。錦糸卵の下には二層の甘酢の酢飯が隠れており、かんぴょうや椎茸や魚や野菜が刻まれて酢飯の中と上で層を為す。御飯に各種の味が混ざり合う、柔らかくて甘めの押し寿司。ただ、後に空弁ブームが発生しても一度も長崎空港の空弁として紹介されないので、実際は空港にないのかもしれない。2005年以降の京王百貨店駅弁大会でも同じ商品が実演販売されていた。
1474年に島原の有馬氏に敗れ大村を明け渡した大村純伊(すみこれ)が1480年に大村を奪還した際に、喜んだ領民達が侍を迎えるにあたり、各家庭にあったもろぶたと呼ばれる木箱に御飯と錦糸卵とありあわせの材料を詰めて押し寿司をこしらえ、侍達がこれを脇差で縦横に切って食べたのが由来だそうだ。
長崎空港はかつて大村空港という名称で大村市街地の海岸沿いにあったが、約1km沖の大村湾内に浮かぶ簑島の周囲を埋め立てた世界初の海上空港として1975に移転し改称した。旧滑走路も自衛隊用として健在だ。
【長崎空港】1955(昭和30)年5月1日開港 長崎県大村市箕島町593 http://www.nabic.co.jp/
【平野屋】長崎県西彼杵郡時津町 TEL:無記載
熊本空港 2008年12月8日訪問
1960年に熊本市街の健軍町で開港、1971年に拡張やジェット化のため阿蘇のふもとの現在地へ移転。霧が出るため就航率が低かったが、1995年に国内で初めて成田と釧路と同時に新型の計器着陸装置を導入し欠航が減少、現在は九州内で福岡と鹿児島に次ぐ利用者数を集める。ターミナルビルには売店が充実し、空弁も各所で販売されている模様。
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◇ろーすかつ弁当(880円) 2008年12月8日に熊本空港ターミナルビル内ANAFESTAで購入
黒いボール紙の箱に、商品名を書いた白い掛紙を巻く。半透明のトレーに収まる中身は、熊本県の菊池米ヒノヒカリの白御飯の上に千切りキャベツを敷き、熊本県産りんどうポークのロースカツをひとつ、ソースに浸けて9切れ程度にカットして載せ、漬け物を添えるもの。風味はデパ地下タイプ。調製元は熊本市内、水前寺駅近くのおしゃれなトンカツ食堂。
【熊本空港】1960(昭和35)年4月1日開港 熊本県上益城郡益城町大字小谷1802 http://www.kmj-ab.co.jp/
【とんかつ専門店 萬】熊本県熊本市新大江1丁目16番8号 TEL:096(361)1077
◇天草大王(880円) 2008年12月8日に熊本空港搭乗待合室内ANAFESTAで購入
小さな長方形の発泡材容器をオレンジ色の掛紙で包む。中身は鶏炊込飯の上を、ゴボウ混じりの鶏肉フレークと錦糸卵に菜の花や桜大根と椎茸で覆い、うぐいす豆を添えるもの。調製元はJR新八代駅の駅弁に進出した鮎問屋で、駅弁でも同じ名前の商品があるが、空弁はそれより120円安く、中身の分量は体感値で1/3しかないので、こちらは割高が過ぎるのではないかと思う。空弁マークの使用代が嵩んだのだろうか。
【熊本空港】1960(昭和35)年4月1日開港 熊本県上益城郡益城町大字小谷1802 http://www.kmj-ab.co.jp/
【有限会社みなみの風】所在地の記載なし TEL:0965(39)5150
【合資会社頼藤商店】熊本県八代市萩原町2丁目1−6 TEL:0965(33)1145 http://www.yorifuji.org/
◇?・鮗・このしろ寿司(700円) 2005年1月30日に阪神百貨店駅弁大会で購入
いまや有名駅弁で有名空弁の調製元がおくる無名空弁。笹の葉を敷いたプラ製総菜容器に、このしろ寿司を間に経木を挟んで6個入れ、発泡材の板を載せてビニール袋に詰めて包装紙で包む。味はサバでもアジでもイワシでもないけど何だろうと思うような青魚の寿司という感じ。調製シールには「このしろ寿司 松」などとあり、空港名のシールを貼って空弁と名乗る街の寿司かもしれない。現地での販売はある模様。
熊本空港は1960(昭和35)年に熊本市健軍町の旧陸軍飛行場跡地で開港したが、現在の福岡空港並みに熊本市街に近く滑走路が延伸できないため、陸上自衛隊を残して1971(昭和46)年4月1日、市街から約15キロ離れた現在地へ移転した。霧の名所で欠航が多い欠点は1995(平成7)年9月に国内最高レベルの新計器着陸装置を導入して改善されたが、自家用車がないと不便なアクセスは改善の予定がない。
【熊本空港】1960(昭和35)年4月1日開港 熊本県上益城郡益城町大字小谷1802 http://www.kmj-ab.co.jp/
【有限会社みなみの風】熊本県八代市萩原町2丁目1−6−2F TEL:0965(39)5150
【鮎の老舗より藤(鮎問屋頼藤商店)】熊本県八代市萩原町2丁目1−6 TEL:0965(33)1145 http://www.ytnet.or.jp/yorifuji/
◇鮎屋三代(900円) 2005年1月16日に京王百貨店駅弁大会で購入
2004年1月9日に京王百貨店駅弁大会でデビューした八代駅弁「鮎屋三代」の、翌年の京王百貨店駅弁大会で熊本空港の空弁として輸送販売されたもの。前年のものとほぼ同じだが、掛紙には「熊本空港発」と明記され、発泡材容器の模様が竹籠風から木目調に変わり、中身の添え物が菜の花やゼンマイに変わっている。
こうして都内で空弁としてアピールする一方で、2005年2月にはJR九州が募集した駅弁ランキングで総合・味・こだわりの三冠を獲得している。確かに良い駅弁ではあるが、三冠という絶対的な評価には疑問を感じると、個人的な感想。組織票が投じられていなければいいが。
前年のものの概要は次のとおり。竹皮の籠目を印刷した発泡材容器に、表紙に駅弁名と鮎の魚拓を、裏で調製元と八代の蘊蓄(うんちく)を語った掛紙を巻き、赤いゴム紐で縛る。日本三大急流に数えられる球磨川の鮎を使用、中身は焼鮎で出汁を取った炊込御飯の上に、掛紙の魚拓の半分程度の、頭からかぶりつくことも可能な鮎甘露煮が載る。
【熊本空港】1960(昭和35)年4月1日開港 熊本県上益城郡益城町大字小谷1802 http://www.kmj-ab.co.jp/
【有限会社みなみの風】熊本県八代市萩原町2丁目1−6−2F TEL:0965(39)5150
【鮎の老舗より藤(鮎問屋頼藤商店)】熊本県八代市萩原町2丁目1−6 TEL:0965(33)1145 http://www.ytnet.or.jp/yorifuji/
鹿児島空港 2004年12月20日訪問
1932年に鹿児島市街付近の鹿児島湾に面した鴨池地区で鹿児島市営の水陸両用飛行場として開港。1972年にその北西に30km以上も離れた山中に移転しジェット化。幹線や県内離島線が充実し、年間約600万人の利用者数を誇る。空弁は2004年と2005年の訪問時には、特徴なき単なる総菜弁当を空弁と名乗らせる体たらく。現在はもう少しマシなものが出ているとも聞いているが。
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◇ROYAL Sandwich(430円) 2004年12月20日に鹿児島空港搭乗待合室内軽食スタンドで購入
鹿児島空港で見つけた箱入りサンドイッチ。白い紙箱の中にハムサンドやチーズサンドが入るが、コンビニより高価なのにパサパサなパンに極薄無風味ハムを少量挟んだだけ。調製シールを見ると添加物もだいぶ入っているようで、呆れを通り越して、こういうタイプのサンドイッチがまだ現役で残っていたのかと感心した。
近年の空弁ブームにより、鹿児島空港でも「空弁あり」旨の掲示があったが、弁当の外観はどう見てもコンビニ弁当か総菜弁当。羽田から飛行機で一時間半の距離でも流行や文化の波及には年単位の時間が必要なのか。次回の訪問では状況の改善が見られることを願う。
【鹿児島空港】1972(昭和47)年4月開港 鹿児島県姶良郡溝辺町麓822
【ロイヤル株式会社鹿児島空港店】鹿児島県姶良郡溝辺町麓822番地 TEL:無記載
◇食膳 米米麦麦(こめこめばくばく)(590円) 2004年12月20日に鹿児島空港搭乗待合室内軽食スタンドで購入
鹿児島空港で見つけた箱入りミニおむすび。弁当名と調製元のロゴマークを書いた細い細いボール紙容器の中に、味気なく個々にビニール包装されたおむすびが5種5個入る。中身の解説がないのでコンセプトは不詳だが、おかかで枕崎を、とんかつで鹿児島を連想しておく。小腹に効く手軽で味も良い空弁。
鹿児島空港はかつて鹿児島市街の鴨池にあったが、利用増で手狭になったことと桜島の火山灰がジェットエンジンに悪いとのことで、1972年4月に市街から遠く遠く離れた現在地に移転した。当時のターミナルビルは商業施設に、格納庫はバス車庫に転用され、今も真砂本町51番地に残る。
【鹿児島空港】1972(昭和47)年4月開港 鹿児島県姶良郡溝辺町麓822
【イワサキホテルズ株式会社】鹿児島県姶良郡溝辺町麓822 TEL:0995(58)4668 http://www.iwasaki-group.com/
◇(華ごよみ)(820円) 2005年9月12日に鹿児島空港コンコース内軽食スタンドで購入
これが鹿児島空港特製の空弁なのだとか。鉄道の日記念イベントで買った千葉県の小湊鉄道五井駅弁と同じ、市販の総菜弁当用ボール紙箱をそのまま使用。中身はそぼろやキノコを載せた御飯、太巻や細巻や稲荷や握りの寿司各種、薩摩揚2点と緑豆と缶詰フルーツなど。
空弁の世で言われる定義やイメージを何一つ満たさない、ただの空港売り弁当を空弁と呼んではいけない。品質も価格も悪くないが、その存在が痛々しい。東京便がたくさん飛び、利用者も多い空港なのに、こんな状況が続くのは、かなり不思議。
【鹿児島空港】1972(昭和47)年4月開港 鹿児島県姶良郡溝辺町麓822
【株式会社エアポート山形屋】鹿児島県姶良郡溝辺町麓861−2番地 TEL:0995(58)2892
◇(お料理弁当)(820円) 2005年9月12日に鹿児島空港コンコース内軽食スタンドで購入
これが鹿児島空港特製の空弁なのだとか。どこかで見たような、市販の総菜弁当用ボール紙箱をそのまま使用。中身は日の丸御飯に薩摩揚、鶏唐揚、肉焼きそば、海老団子、きんぴらごぼう、昆布巻など。
空弁の世で言われる定義やイメージをほとんど満たさなそうな、ただの空港売り弁当を空弁と呼んではいけない。品質も価格も悪くないが、その存在が受け入れ難い。ターミナルビルには、全国の空港で空弁を競うJAL系売店もANA系売店も入居するのに、彼らがここでは空弁を売り出さない現況に、なんとなく変なものを感じる。
【鹿児島空港】1972(昭和47)年4月開港 鹿児島県姶良郡溝辺町麓822
【株式会社エアポート山形屋】鹿児島県姶良郡溝辺町麓861−2番地 TEL:0995(58)2892
佐賀空港 未訪問
1998年に佐賀市街の南約12kmの有明海に面した干拓地で開港した佐賀県初の空港。しかし便利な福岡空港に近いため利用は低迷、県が赤字補填を続けながら、貨物便や早朝深夜便などの活路を模索する。空弁の販売は構想に留まっている模様。
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大分空港 2006年1月28日訪問
1938年に大分市街で海軍の飛行場として開設。1957年に第二種空港として供用開始も、移転に伴い1968年に廃止。3年後の1971年に、大分や別府から約30km離れた国東半島の豊予海峡沿岸で、現在の空港が開港。国内唯一のホバークラフト航路が空港と大分市を結ぶ。空弁はターミナルビル内の売店や通路で、サバやアジなどの寿司その他がいくつか売られていた。
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宮崎空港 写真未撮影
1943年に海軍の飛行場として太平洋岸に開設。戦後に閉鎖されたが1954年に航空大学校の訓練飛行場として再開、1961年に第二種空港に指定。以後3度の延長で滑走路は海に突き出たが、宮崎市街の南約5kmという便利な立地から移転することなく、1996年のJR宮崎空港線開通でさらに便利になった。空弁はターミナルビル内売店で売られる椎茸弁当がよく紹介されるほか、鶏肉の弁当や鯖寿司などが販売される。JR宮崎空港駅では宮崎駅の駅弁も売られる。
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壱岐空港 未訪問
1966年に壱岐島南西端の海岸線で長崎県管理の空港として開港。長らく福岡便と長崎便が飛んでいたが、高速船との競争で福岡便がなくなり、現在は長崎便2往復が飛ぶ。未訪問かつネットや書籍等での資料に乏しく、ターミナルビルの形態が分からないが、空弁の販売はないと思われる
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対馬空港 2003年2月16日訪問
1975年に対馬の南北を分ける万関瀬戸付近の丘陵地で長崎県管理の空港として開港、1983年にジェット化。福岡便と長崎便が飛んでいる。ターミナルビルの1階と2階に売店が、2階に食堂があるものの、空弁の販売はない模様。
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小値賀空港 未訪問
1985年に小値賀(おぢか)島南東端の海岸線で長崎県管理の空港として開港。長らく福岡便と長崎便が飛んでいたが、船舶航路との競争で2006年までにいずれも休止されたため、維持存続の必要性を含めて県で検討を進めている。ターミナルビルは閉鎖中で、空弁の販売もない。
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上五島空港 未訪問
1981年に中通島の北東に浮かぶ頭ヶ島の頭を均して長崎県管理の空港として開港。長らく福岡便と長崎便が飛んでいたが、船舶航路との競争で2006年までにいずれも休止されたため、維持存続の必要性を含めて県で検討を進めている。ターミナルビルは閉鎖中で、空弁の販売もない。
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福江空港(五島福江空港) 未訪問
1963年に福江島東側の丘陵地で長崎県管理の空港として開港。4度に渡り滑走路を延長し1988年にジェット化。福岡便と長崎便が飛び、時々大阪便の設定もある。ターミナルビル2階に食堂と売店があるが、空弁の販売はない模様。
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天草空港(天草飛行場) 未訪問
2000年に天草下島の本渡市街に近い高尾山頂付近に熊本県管理の空港として開港。同時に開業した天草エアラインのプロペラ機が福岡や熊本と結ぶ。ターミナルビルにレストランと売店がある模様だが、空弁の販売があるかは不詳。
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枕崎空港(枕崎飛行場) 未訪問
1991年に枕崎市街の東方約5kmの畑地で鹿児島県管理の空港として開港した、全国初のコミューター空港。しかし今に至るまで定期便が設定されたことはない。空弁の販売もない。
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種子島空港(新種子島空港) 未訪問
2006年3月16日に鹿児島県管理の空港として開港。1962年開港の種子島空港をジェット化に伴い移転したものとも見える。新旧空港とも伊丹便と鹿児島便の設定。未訪問かつネットや書籍等での資料に乏しく、ターミナルビルの形態が分からないが、空弁の販売はないと思われる
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屋久島空港 未訪問
1963年に屋久島東側の海岸線で鹿児島県管理の空港として開港。鹿児島との間にプロペラ機が飛ぶ。未訪問かつネットや書籍等での資料に乏しく、ターミナルビルの形態が分からないが、空弁の販売はないと思われる
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奄美空港(奄美大島空港) 未訪問
1964年に奄美大島東端の海に面した丘陵地で鹿児島県管理の空港として開港。1988年にその沖の海上を埋め立てた現在地へ移転してジェット化。空弁は2005年の時点でターミナルビル内レストランにて販売されていた模様だが、現存するかは分からない。
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喜界島空港(喜界空港) 未訪問
戦前に喜界島の中心部近くで海軍の飛行場として開設、1968年に喜界町管理の空港として開港した。鹿児島便の他にわずか16マイル先の奄美空港へも定期便が飛ぶ。ターミナルビルに売店とレストランはあるようだが、空弁の販売はない模様。
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徳之島空港 未訪問
1962年に徳之島北西端の海岸沿いで東亜航空管理の空港として開港、1970年に鹿児島県へ移管し、1973年に第三種空港へ指定。2度の滑走路延長で1980年にジェット化された。ターミナルビルに売店はあるようだが、空弁の販売はない模様。
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沖永良部空港 未訪問
1969年に沖永良部島の東端の台地上で鹿児島県管理の空港として開港。ジェット化されていないため長らくYS−11型機が飛んでおり、2006年9月30日のラストフライトもここを飛んだ。ターミナルビルに売店はあるようだが、空弁の販売はない模様。
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与論空港 未訪問
1976年に与論島西端の海岸沿いで鹿児島県管理の空港として開港。ターミナルビルに売店と喫茶店はあるようだが、空弁の販売はない模様。
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那覇空港 2003年9月7日訪問
1933年に海軍の飛行場として開設、戦後に沖縄ともども米軍が占領。1972年の本土復帰に伴い返還され第二種空港に指定、現在は年間1千万人以上もの利用者数を誇り、拡張や改良が検討されている。空弁はブーム以前には皆無であったと思うが、空弁ブームと共に沖縄の個性を生かした特徴的な商品が多数投入され、人気と注目を集めている。
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北大東空港 未訪問
1971年にアメリカが北大東島東端の海岸線に緊急着陸用飛行場を整備、1978年に沖縄県管理の空港として供用開始。那覇便と南大東便が飛んでおり、後者は世界一短距離(約12km)の航空路線として知られる。ターミナルビルの売店とレストランは閉店している模様。空弁の販売はないだろう。
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南大東空港 未訪問
1934年に南大東島の中央部で海軍の飛行場として開設され、滑走路の延伸に伴い1997年に、約2km先の島東端へ移転した。那覇便と北大東便が飛んでおり、後者は後者は世界一短距離(約12km)の航空路線として知られる。ターミナルビルの売店で大東寿司が販売されており、これを空弁とする収穫報告が見られる。
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伊江島空港 未訪問
沖縄国際海洋博覧会の開催に伴い、戦前に陸軍が築造した滑走路のうち1本の跡地を利用して、1975年に伊江島の中央で沖縄県管理の空港として開港。しかし2年で定期便が撤退、以後はチャーター便が年間200〜300回程度飛んでくる状況。ターミナルビルはあるが、空弁はないだろう。
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慶良間空港 未訪問
1982年に慶良間諸島の外地島のほぼ全体を使って民間企業が開設し、1992年に沖縄県管理の第三種空港に指定。那覇との定期便や不定期便が断続的に設定されていたが、利用の低迷により2006年に運休、現在は乗り合いチャーター便が同区間を結ぶ。ターミナルビルはあるが、売店がないため空弁もないだろう。
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粟国空港 未訪問
1978年に粟国島北東部の平地で沖縄県管理の空港として開港、昔も今も那覇便の設定がある。ターミナルビルに売店はあるようだが、空弁の販売はない模様。
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久米島空港 未訪問
1963年にアメリカが久米島西端の海岸線に緊急着陸用飛行場を整備、本土復帰後の1973年に沖縄県管理の第三種空港に指定、1997年にジェット化。那覇便の他に夏期には那覇経由の羽田便も飛ぶ。ターミナルビル内に売店や食堂はあるようだが、空弁らしい商品はない模様。
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宮古空港 未訪問
1943年に海軍の飛行場として開設、本土復帰後の1973年に沖縄県管理の第三種空港に指定、1978年に暫定ジェット化のうえ、その5年後に滑走路を延長。年間100万人以上の利用者数は県内で那覇と石垣に次ぐ。ターミナルビル2階に複数の売店やレストランがあるようだが、空弁の販売はない模様。
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下地島空港 未訪問
1979年に宮古島に近い伊良部島の西側に隣接する下地島で、パイロット訓練用の空港として開設。そのため3000mもの滑走路を備え、大型旅客機のタッチアンドゴーなどの特殊な飛行が見られるとあり、航空ファンの注目を集める。那覇へ1980年から1994年まで定期便が、2007年の3か月間だけ不定期便が飛んだことがある。ターミナルビルは業務用で、売店や空弁はないと思われる。
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多良間空港 未訪問
1971年にアメリカが多良間島南端の海岸付近に緊急着陸用飛行場を整備。2003年に島西端へ移転し沖縄県管理の空港として開港。ターミナルビル内に売店や食堂はあるようだが、空弁の販売はない模様。
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石垣空港 未訪問
1943年に石垣島の市街地近くで海軍の飛行場として開設、本土復帰後の1973年に沖縄県管理の第三種空港に指定。滑走路の延長が困難で、空港容量の慢性的な不足により古くから新空港の必要性が認識されながら、空港反対派が国内外の先鋭的な自然保護団体と組んだ激しい対立により計画が難航、2006年になってようやく工事が着手された。ターミナルビルの売店で簡単な手作り弁当の販売はあるそうだが、それを空弁と見なせるかは微妙。
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波照間空港 未訪問
1972年にアメリカが波照間島の東端で緊急着陸用飛行場を整備、1976年に沖縄県管理の空港として移転開港。当時から石垣便のみが飛んでいたが、利用の低迷により2007年12月の休止が決定している。ターミナルビル内に売店はあるようだが、空弁の販売はない模様。
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与那国空港 未訪問
1943年に軍の飛行場として開設された日本最西端の空港。本土復帰後の1973年に沖縄県管理の第三種空港に指定、1999年に暫定ジェット化され、2007年に滑走路延長が完成している。ターミナルビル内に売店や食堂はあるようだが、空弁の販売はない模様。
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2006年2月19日開館 2009年4月18日更新 URL:http://eki-ben.web.infoseek.co.jp/soraben/ Copyright (C) 2006-2008 まっこうくじら All Rights Reserved.
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